日本各地のほしいも


サツマイモに熱を加えて、切って、乾燥したのが“ほしいも”であるなら、サツマイモの産地ではどこでも作られていそうなものです。
ところが、茨城県ひたちなか市周辺で作られているほしいもが、日本全国の90%を占めているのが現状です。
しかし、生産量はほんのわずかですが、“色々な地域で様々なほしいも”があります。
それらは今では地元でしか食べることができないものも多い“ほしいも”です。
ではどんなものがあるのか?茨城県産ではない、ほしいも達を紹介して行きます。

【産地と呼び方そして、サツマイモの品種は?】

静岡県 千葉県 山梨県 三重県 富山県 石川県 福井県 滋賀県
京都府 和歌山県 岡山県 島根県 香川県 熊本県 長崎県 宮崎県

静岡県
静岡はほしいも発祥の地です。江戸時代から作られていて、明治時代に茨城に伝わりました。(詳しくは「ほしいもの歴史 ほしいも編」へ)
遠州地方で盛んに作られていましたが、現在では生産量はだいぶ減っています。また、東部では富士市、富士宮市近辺でも作られていました。
茨城に次いでの産地なので地元だけでなく各地に一部は流通されています。

今でこそ茨城県が干し芋生産量ダントツの一番ですが、歴史を振り返ると長い間静岡県がNo.1を誇っていました。
静岡から茨城へと干し芋作りが伝わったのですが、作り方にはそれぞれ特徴があります。特に乾燥する時間に違いが見られます。
一般的な平干し芋を比べてみます。
茨城では天日干しで1週間が基準なのに対して、静岡では3日が基準です。これは“遠州のからっ風”が影響しています。静岡で干し芋作りが盛んな御前崎地方は海風が強くそれがサツマイモ作りにも干し芋作りにも影響を与えます。
強い風を利用して仕上げるので、茨城に比べて半分以下の時間で乾きます。ただし、風だけで早く乾くわけではありません。
静岡の方がスライスの幅が薄いこと、それとサツマイモ自体の糖分の差があります。スライス幅は茨城が9mmが一般的なのに対して静岡では7mm幅くらいと薄くスライスします。

茨城の干し芋産地も海に近いので、風はありますが、静岡の干し芋産地の御前崎ほどではありません。風は干し芋作りではなくサツマイモの栽培でも海風の影響があるので、それに触れます。
どちらも、苗を植えたばかりの頃、人間で言えば生まれたばかりの赤ん坊のような、か弱い頃に影響があります。
静岡の強い風は苗が根付くのを妨げます。
茨城は風の強さよりも、親潮によって風が冷たくなっていることが問題になります。冷害の心配があるということです。特に苗を植える時の冷たい風、冷たい雨は要注意です。
静岡でも茨城でも、干し芋農家(に限らずですが)は、強い苗を作ることを心掛けます。

ちなみに、茨城で風が強い日に思ったよりも早く乾いてしまうことを「風乾き」と言います。

呼び方 切干し、ほし、さつまいものほっしい
品種 遠州地方は、いずみが中心で人参芋(品種は“兼六”はじめまちまちです)も作られています。東部では人参芋が主流でした。
最近では茨城県の主要品種の玉豊の作付けも見られるようです。

千葉県
茨城とは地理的に近くサツマイモの栽培も盛んですが、干し芋はあまり生産されていません。茨城よりも気候が温暖ということもあるのでしょうか?
また経験上ですが、紅アズマなどの干し芋にしないサツマイモが良質なものが育つこと、サツマイモ以外にも多くの野菜が育つ環境があることなどもその理由ではないかと推測しています。
けれど一部の地域では、干し芋が作られています。
茨城とは違い煮て作っています。

呼び方 干し芋
品種 干し芋用として栽培するのではなく、紅アズマなどの一般的に作られている品種を干し芋にしています。

山梨県
細い太白芋を蒸かして1~2日干してからスライスするというめずらしい作り方です。
また、生で輪切りにして、稲わらに通して干し上げた「さつまいもの白干し」を作る文化もあります。

呼び方 さつまいもの切り干し
品種 太白

三重県
“きんこいも”の名は干し芋ファンなら聞いたことがあるかもしれません。地元では馴染み深い干し芋です。
ナマコを煮て干したものを「きんこ」と言い、それに似ていることから「きんこ」または「きんこいも」と呼ばれています。
蒸かすのではなく、煮て干すのが特徴です。
三重県という土地柄でしょうか、海女や漁師のおやつとして親しまれてきたようです。水産会社が海産物と一緒に取り扱っている場合もあります。

呼び方 きんこ、きんこいも、にっき(煮切干)
品種 七福と言われていますが、三重の方に聞いたところ隼人芋でも作られるようです。いずれにしても古い品種のサツマイモです。

富山県
蒸かして干すので、干し芋ですが、切ってから蒸かすというめずらしい作り方です。わら縄で編んで軒下に吊るします。冬の日本海側の気候では干し芋作りにはむきません。
軒下や土間で吊るし干し、そのままもしくは、ある程度乾いてきたら暖をとっている室内で仕上げるのではないかと推測しています。
2分から3分(6~9mm)に切るというのもそれを裏づけます。薄い厚さです。乾燥条件が良くないので早く乾燥をさせるためでしょう。
モミガラの中で生のままでサツマイモを保存させることも文献にでていましたが、悪い条件化で干し芋を作るのは、サツマイモの保存が大変だったことが伺えます。それに加えて干し芋はおやつとして魅力的だったのでしょう。

呼び方 干し芋
品種 お隣の石川県は五郎島金時が有名なので、金時芋を干し芋にしていたのかなどと想いが募りますが、富山県ではどうだったのでしょうか?在来のサツマイモを干し芋にしていたのでしょう。

石川県
富山と同じく、天井から吊るして乾燥させます。
違うのは、蒸かしてからスライスすることです。一般的な作り方です。けれど、スライスをサツマイモの形によって輪切り、斜め切り、縦割りを変えるところに特徴があります。
通常は縦割りです。輪切りだと繊維がありスライスしづらいのですが。
蒸かし加減が違うのかもしれません。

呼び方 干し芋
品種 干し芋のタツマの元に、石川県の農家が訪ねて来たことがあります。その方も干し芋作りをしたいということでした。サツマイモも作っている農家でしたので、それを干し芋にするということです。五郎島金時に近い品種ということでした。
また、人参芋の「兼六」も干し芋にしたいと語っていました。干し芋のタツマの人参芋も「兼六」です。石川県で選抜された品種で、干し芋に適した美味しい品種です。
昔も兼六系の人参芋が干し芋となっていた可能性は高いと思っています。

福井県
残念ながら福井で干し芋を作っていたことは確認できませんでした。
しかしながら、古い品種のサツマイモを加工していたようです。
品種は「五月いも」「赤いも」「護国いも」でそれぞれの品種により用途が異なっていたようです。
五月いもは「鉢巻き」と言って茹でて食べる。他の品種は「海水ゆで」と言い、文字通り海水で茹でることもしたようです。米ともち米とサツマイモ(またはサトイモ)で「いもぼたもち」を作ったり、おもしろい所では、煮たサツマイモとモヤシを煮て、発酵させて「さつまいもあめ」にしていた記録もあります。
滋賀県
蒸かしたサツマイモを薄切りにして乾燥させるという、一般的な方法で干し芋が作られていたようです。

呼び方 干し芋、いもするめ
品種 サツマイモが伝わったのは安政年間(1854~59年)で、伊吹山麓の弥高(やたか)村で栽培が始まったことから「弥高いも」と言われていました。
(弥高は明治以降の地名で、以前は坂口と言っていたので「坂口いも」とも言われています)
弥高いもには、(1)皮が赤くやわらかくて甘い品種と、(2)皮は薄赤色でべったりした品種と、(3)皮が白くホクホクした品種がありました。
(2)のサツマイモが干し芋への適性がありますから、この品種で作られていたのではないでしょうか。

京都府
サツマイモを蒸かして、2分くらいの厚さに輪切りにして、ざるに並べて天干しにします。ポピュラーな作り方です。
京都というと干し芋よりも伝統的な食べ物が多いはずです。その中でも干し芋が作られていたことが嬉しいです。
華やかなお菓子は都市部で、干し芋は農村部だったのかもしれません。

呼び方 滋賀と同じ「いもするめ」という呼び方です。この名は京都が発祥でしょう。いかにも京都らしい名前です。スルメをはじめ数々の名品が集まっていたことが連想される呼び方です。
品種 在来のサツマイモでしょうけれど、京野菜というジャンルがあるくらいですから、(京いももありますし)京都ならではのサツマイモでつくられていたのではないかと想像してしまいます。

和歌山県
切ってから茹でたサツマイモをわらではさんで交互に編んで、軒下に吊るして日に干す作り方です。細い芋は2分の厚さに切り、太くて大きい芋は輪切りにして中心にわらを通して吊り下げます。
特徴は“固ゆで”にすることです。甘い干し芋を作るのには火の通し方は重要です。固ゆでだと充分い甘みは引き出せません。
甘みよりも乾燥に重きがおかれていたのでしょうか?それとも固い方が吊るしやすかったのでしょうか?それは解りません。
また、カチカチに乾燥させて保存性を高めて、食べる時に熱い湯でもどしてやわらかいくして食べることもしていたようです。

呼び方 干し芋
品種 在来のサツマイモだと推測されます。

岡山県
干し芋とはちょっと違いますが、紹介します。
サツマイモはあらかじめ茹でておきます。
茹でたサツマイモともち米を蒸かして、よく搗いて、棒状に伸ばします。これを薄く切り、干します。
食べ方は、炒って食べます。
島根県
なかなか凝った作り方で干し芋を作ります。
生のサツマイモを2分くらいに切り端に穴を開け、わらを通して雨がかからない軒先で一ヶ月干します。カラッカラになるはずです。それとも日本海側の気候ですから乾きづらいのでしょうか?
その後、わらを抜き取り蒸篭(せいろ)で蒸し、寒の頃にむしろの上で一ヶ月干す。
ここでもかなり時間をかけて干します。
乾くのに時間がかかることは間違いないのでしょう。

呼び方 干し芋
品種 在来のサツマイモだと推測されます。

香川県
火を通さないで生のまま干す「白切り」と火を通してもさっとゆでる程度で干す「ゆで干し」があります。いずれもそのままでも食べますが、炊いて食べる食材として使われています。

呼び方 さつまいもの白切り、ゆで切り、ゆで切り
品種 白切りもゆで切りもこれを作るために栽培されてはいないようです。

熊本県
(1)生を干したもの。と、(2)蒸かして干したもの。があります。原料は「からいも」と呼ばれるサツマイモです。
(1)皮をむき、薄切りにして乾燥させ、粉にします。からいも粉といいます。
生のからいもと混ぜて蒸かした「石垣だご」や、こねたからいも粉とこねた麦粉を重ねて蒸かした「しまだご」の原料になります。
(2)サツマイモを蒸かして薄く切り、天日干しにします。寒のうちに10~15日かけて干すと言いますから、結構乾燥させたのでしょう。

呼び方 蒸しこっぱ
品種 からいもは熊本でのサツマイモの総称でしょうから、品種とは違うのでしょう。九州は多くのサツマイモが作付けされていますから干し芋も何種類もあったでしょう。
今回紹介した2種類の干し芋以外にも、サツマイモを加工した伝統的な食べ物が熊本にはたくさんあります。

長崎県
「かんころ」と呼ばれる干し芋があります。

「かんころ」には2種類あり火を通した「ゆでかんころ」と生を干した「白切り」です。
「ゆでかんころ」も2種類あります。干し方の違いです。棚に干す「ゆで干し」と吊るして干す「抜き干し」です。

サツマイモの皮をむき、“かんころがんな”で1分5厘くらいの厚さに切ります。これを沸騰している湯の中に入れて、半煮えになったらザルにあげて、“かんころ棚”に干します。3、4日から1週間で干しあがります。これが「ゆで干し」です。
「抜き干し」は皮をむいた時点で真ん中に穴を開けておいてからスライスします。茹でた後にわら等を通して吊るし干しにします。煮えすぎるとやわらかくて干している最中に落ちてくるので、火の通し加減には注意が必要です。
「白切り」はゆでかんころの茹でる工程がないかんころです。こちらも棚干しと吊るし干しがあります。

かんころは「ゆで干し」も「白切り」もさらに加工してから食べます。
「ゆで干しのかんころ飯」は、ゆでかんころを炊いてしゃもじでつぶして食べます。
「白切りのかんころ飯」は、ゆでかんころと同じ作り方ですが、こちらの方が水が多く必要になります。
いずれにしても水加減が重要です。
「ゆで干し」は米・麦・アワと混ぜて食べる時もあるようです。「白切り」はえんどう豆などと混ぜる時もあるようです。
「かんころもち」は、ゆでかんころを蒸かして、白もちを入れてさらに蒸かして臼で搗きます。
「白切り」は他にも粉にして、団子にして食べます。

呼び方 ゆでかんころ(ゆで干し、抜き干し)
白切り(棚干し、つるし)
品種 ゆでかんころは、「赤いも」甘みがあるサツマイモ
白切りは、「げんきいも」デンプンが多いサツマイモ

宮崎県
宮崎県もサツマイモ王国ですから、数々のサツマイモ料理やサツマイモの加工食品、芋焼酎があります。
干し芋は、甘みの強い品種を選んで作ります。
サツマイモを蒸かし、2分の厚さにスライスして、ザルに広げて軒に置きます。
コチコチに乾かして保存します。食べる時は火であぶって食べます。
飴色の干し芋になると言いますから、干し芋に適した品種を使うことが解ります。

呼び方 干し芋
品種 南瓜芋(なんきんいも)、「紅はやと」
表皮が橙色で、かぼちゃのような果肉のサツマイモを使います。



(一部は「日本の食生活全集(農文協)」から引用しています。)

茨城県ひたちなか市周辺のほしいも

干し芋の生産において、茨城県ひたちなか市周辺が全国の90%になっている理由は何故か?ここまで集中した理由が何かありそうです。
あくまで推測でしかありませんが、干し芋産地に長い間いて感じてきたままに書いてみます。

サツマイモだけを原料にして、基本的には火を入れて、天日干しにする。製法がシンプルで保存食になり、冬場の仕事だから農閑期にできるのが干し芋作りです。
全国各地でもっと普及しても良さそうです。しかしそうではない。ひたちなか市周辺のことを知れば知るほど思い当たることが出てきました。

  1. 田んぼが少なく、畑は土地が痩せていた。サツマイモをはじめ作られる作物が限られていた。
  2. サツマイモ栽培の北限地なので栽培は不利だったが、干し芋を天日干しする環境には恵まれていた。
  3. サツマイモが栽培できない地方(東北、北海道)では干し芋の需要が高く、地理的に近いのが流通の後押しをした。
  4. 1、に通じますが、田んぼが少ないので現金収入を干し芋に頼った。
  5. 干し芋として高品質の品種の玉豊(たまゆたか)が痩せた土地にあっていた。だから他の産地よりも甘い干し芋が生産できた。
    (これが一番の理由だと考えています。ひたちなか市周辺と言っても、高品質の干し芋は、常磐線より海側・久慈川を那珂川の間の畑でできます)
  6. 干し芋作りは、春から秋まではサツマイモ作り、冬は干し芋作りと、年間通しての仕事であるために、稲作(麦作も含む)と組み合わせれば1年中の仕事になった。これにより専業農家が育った。兼業になりづらかったという方が的を得ているかもしれません。

以上の理由を考えました。
それらは同時に、高品質の干し芋を作る技術の向上を喚起しました。そして、干し芋作りでは手作業が多い分、この地域の農家の熟練の技にもなって行きました。これもこの産地を日本一の干し芋産地にした理由だと思います。

そしてもうひとつ、干し芋発祥地であり先進県としてリードしてきた静岡県の干し芋生産が減っていったことは、ひたちなか地域を日本一で唯一の干し芋大産地にしていったことにつながりました。
かつて長年(江戸時代の勃興気から昭和30年頃まで)干し芋生産日本一だった静岡県の生産が減ったのは、東海道という利便性があったからだと思っています。
経済的に干し芋以外にも有利なものが生まれる機会が多くあったからでしょう。


ひたちなか地域も干し芋農家の高齢化で、年々干し芋を作る農家が減っています。干し芋のタツマでは、地域の農家と一緒に、伝統ある干し芋作りの継承に務めて行きます。