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ほしいもブログ
ケミコのこと
昨日、大事な大事な家族の、猫のケミコが死にました。
16歳でした。
人間でいうと90歳ごえなんだそう。
和歌山電鉄のたま駅長と同じ年で、
たま駅長よりほんの少し長生きでした。
気が強くて甘えん坊で、ドジで、食いしん坊で、
餌を探し当てる嗅覚は犬並みで、
耳もよく、私の車のエンジン音を聞いていつもお迎えに来てくれました。
時々自分の舌をしまい忘れるほど、
いつもいつも誰かの手をなめてくれました。
旦那様の晩酌に付きあっては、
いつもお刺身のスジをもらっていました。
静岡の七間町というお街で、
オーストラリア人留学生に拾われて、
まわりまわって我が家にやってきたケミコ。
娘の一人暮らしのお供で、
福岡まで新幹線に乗っていったこともありました。
16年間の思い出はたくさん、たくさんあります。
二階のベランダから飛び降りて何ともなかったくらい、
運動神経抜群のケミコだったのに、
最近は晩酌に付き合うためのテーブルに乗ることもできなくなっていました。
それでも、お気に入りの場所でじっと外を眺めている姿を見ると、
まだまだ一緒にいられるものと思っていました。
前の日、夜仕事から帰るとケミコが家にいなくて、
父親に聞いたら「お昼ごろに出て行って帰ってこない」という答え。
でもそんなに遠くに行くわけがないと思い、
隣りの工場に行って「ケミちゃん、ケミちゃん」と呼ぶと返事が聞こえて、
見ると小さな箱の中から必死に這い出てくるところでした。
あわてて家に連れて帰ると、
よっぽどお腹が空いていたのか、
ご飯のお皿に顔を突っ込むようにして一生懸命食べていました。
ああ、この生命力があればまだ大丈夫。
と、思ったけれど、
やっぱり次の日の朝から、
もうご飯もお水も飲めなくなってしまいました。
呼吸も浅くゆっくりで、
頭をなでてあげると気持ちいいのでしょう、
身体をなでると、頭にしてと合図のように足を少し上げました。
もう今日が最後かもしれないと思いながら、
父親に頼んで、後ろ髪惹かれる思いで仕事に行き。
夜帰るともうケミコは逝ってしまっていました。
でも18時ごろだと聞いて、もう少しで会えたのに…。
もしかしたら、私が帰って来るまで一生懸命待ってくれていたのかもしれない。
もっと早く帰らなくてごめんね。
たった一つの救いは、
朝から苦しがってはいなかったこと。
まるでまだ生きているかのような穏やかな死に顔でした。
もしかしたら、前の日自分の死期を悟って、
一人でひっそり死のうとしたのかもしれません。
でも最後の日、出かける間際に「ケミちゃん、いままでありがとう」
と伝えることができました。
お別れをさせてくれてありがとう。
昨日の夜、食いしん坊のケミコのために、
いい匂いをいっぱいさせて送ってあげようと思い、
お魚を買って来て煮ました。
夜遅くまで出汁をとっていい香りで部屋を満たしました。
こうして私が料理をしていると、
いつもどこからかやって来て、
足元にチョコンとすわっていたね。
もうその姿は見られないね。
ケミちゃんさみしいよ。