2018年05月
猟師飯 胡麻さばでお茶漬け
先日テレビで「最近お茶漬けが流行っている」と言う話題を見ました。
そういえば、お茶漬けの専門店もよく見かけます。
そこのお店の人が、お茶漬け用の出汁を作るのに、
「魚介と鶏がらの両方の出汁を入れるといい」と言っていました。
それを見たら無性にお茶漬けが食べたくなり、
ちょうど生活クラブで「猟師飯 胡麻サバ」というのを買ったので、
これを鯛茶風にしてみようと思いました。
「猟師飯 胡麻サバ」は、
鯖のお刺身を胡麻だれに漬け込んで冷凍をしたもの。
これを自然解凍しておいて、
かつお節の出汁をとり、
それに鶏がらスープのもとを少しだけ入れて、
醤油、酒、塩で味を調えます。
炊きたてご飯に、胡麻サバをのせます。
上から出汁をかけて、葱のみじん切りと、紅生姜、焼き海苔をのせて、
わさびをちょっとだけつけていただきました。
うん、おいしーい!!
この前作った鶏飯よりも好きです。
【ほし太の日向ぼっこ】
店頭菜園
スタッフの一人が、店頭で野菜を育ててくれています。
日当たりがよく、肥料もお水もたっぷりもらえるので、
サニーレタスもすぐに大きくなり、
お昼のお弁当の時の緑に一役買ってくれています。
右側のプランターのレタスは、今日のお昼にも収穫した後です。
今年からは、ミニトマトとキュウリも育て始めました。
トマトはまだこんなに可愛い丈なのに早くも実をつけています。
楽しみです。
こちらは、レタスと葱。
もともとは、茨城の有機農園で育った葱をもらいその根っこを植えたもの。
すでに何十回も収穫させてもらっています。
薬味はちょっとでもあると本当に重宝です。
【ほし太の日向ぼっこ】
肉団子
タケノコの季節なので、タケノコ入りのシュウマイを作りました。
夕食に作ったらとっても美味しかったので、
明日のお弁当もシュウマイにしようと思い、タネを沢山作っておきました。
次の日、タネをシュウマイの皮で包もうとしたら、
皮がぴったりくっついていてはがれません。
無理やりはがそうとすると破けてしまいます。
何とか6個くらいはつくれたのですが、11人分は到底無理そうでした。
困った末にそのまま肉団子にしてしまうことにしました。
包んだ皮をはがして丸め、片栗粉をまぶして油で揚げました。
生姜入りの甘酢あんを作って、揚げた肉団子に絡めました。
つなぎを入れてなかったのでバラバラになってしまわないか心配でしたが、
何とか無事に完成!
ふわふわの肉団子になりました。
これがけっこう評判がよくて、かえってシュウマイより受けがよかったかも。
他のメニューは、エリンギとシメジのチリ炒め、
里芋とイカの煮物、大根と胡瓜、カニカマのサラダでした。
はがした皮も、油でパリパリに揚げて塩を振ったら、
スナック菓子みたいで美味しかったです。
【ほし太の日向ぼっこ】
お茶の天ぷら
今月の達磨庵の歳時記「風薫る」の写真を撮影する時、
干し芋と一緒に盛り付けるため、
お茶の新芽とプチトマトの天ぷらを作りました。
その撮影後に食べたお茶の天ぷらがとっても美味しかったので、
日曜日のお茶摘みが終わった後、
天ぷら用にもお茶の新芽を摘んで来ました。
大葉の天ぷらと同じように、
衣を薄くつけ高温でさっと揚げます。
塩をパラリと振って食べると
ほのかにお茶の香りがしてとっても美味しいです。
今しか食べられない旬の味覚です。
【ほし太の日向ぼっこ】
お茶摘み
5月6日、五月晴れの下毎年恒例のお茶摘みをしました。
兄弟姉妹が集まって、義兄のお茶畑で早朝からお昼までの短期決戦で行います。
今年は天気がよく暖かい日が続いたので、
お茶の新芽が少し伸びすぎてしまいました。
できれば2日くらいにお茶摘みができたらベストだったようです。
出来上がったお茶は全て自家消費用なので、
「自分たちで飲むお茶を自分たちで摘む」
という贅沢なもの。
こんなことができるのも静岡ならではです。
お昼には摘んだお茶をお茶工場に持ち込まなければならないので、
午後からは宴会となります。
これも楽しみの一つです。
手打ち蕎麦や、静岡おでん、お刺身、骨付き鶏肉、タケノコご飯など、
持ち寄りのご馳走が並びます。
宴会で飲むお酒はもちろん菊姫です。
【ほし太の日向ぼっこ】
エンドウ豆
ここ何年かお茶摘みでご一緒する義兄のお友達の稲葉さんから、
自分の畑でとれたエンドウ豆が届きます。
お茶摘みの時にいつも旦那様が菊姫を持参するので、
「美味しいお酒をご馳走になるお礼」と言っていただきます。
昨年の今頃は、
父が生前に植えたエンドウ豆を収穫していました。
父はエンドウ豆のご飯が大好きだったので、
毎年今頃は自分で畑に植えたエンドウ豆をせっせと収穫しては、
「豆ご飯にしてくれ」と言われました。
今年もつい先日、豆ご飯を炊いて仏壇にお供えしました。
濃い味好きな父だったので、
たいてい私が炊いたエンドウ豆のご飯は「塩味が足りない」
と言われました。
だから、父が自分で炊いたご飯はかなりしょっぱっかったです。
でも、とれたてのエンドウ豆のご飯のなんと美味しかったことでしょう。
何回も豆ご飯が食べられるよう沢山作ってくれたので、
お豆は冷凍して保管していました。
そんなことを思い出しながら稲葉さんののエンドウ豆を鞘から出して、
冷凍しました。
この次豆ご飯を炊く時は、もうちょっとだけお塩を効かせるね。
【ほし太の日向ぼっこ】
鶏飯(けいはん)
昨年家族旅行で奄美大島に行ったとき、
郷土料理の「鶏飯(けいはん)」を食べました。
でも私自身はその時車酔いだったのであまり食べられなくて、
味の記憶がほとんどありません。
ただ何だか家でも作れそうと思ったのだけはよく覚えています。
奄美大島で青パパイヤの漬物を買い、
冬に無農薬のみかんを戴いたので皮を干してとっておき、
それをついこの間、コーヒーミルで粉にしました。
それ以外のトッピングは、
鶏肉の裂いたもの、錦たまご、椎茸の佃煮、紅ショウガ、青葱のみじん切り、海苔です。
椎茸はちらし寿司の具のように甘辛く煮て、玉子を焼いてから細く切り、
青パパイヤの漬物も細かく切りました。
生活クラブで買った鶏モモ肉800gを、
軽く焦げ目をつけてから圧力鍋で20分圧をかけて柔らかくし、
一緒にスープもとりました。
味付けは野菜ブイヨンと塩こしょうだけ。
炊きたてご飯をよそい、
トッピングをのせて上からスープをかけていただきます。
みかんの粉と青海苔を載せるとさらに風味がよくなります。
奄美旅行から約8ヵ月、これでようやく気がすみました。
旅行も一緒に行った娘の旦那様が沢山食べてくれて嬉しかったです。
【ほし太の日向ぼっこ】
いつだって猫展
娘に教えてもらい前売り券を購入して楽しみにしていた、
静岡市美術館で開催中の「いつだって猫展」に行ってきました。
この美術展は、
『猫を題材とした浮世絵を中心に、招き猫やおもちゃ絵、版本などを交え、
江戸後期から明治にかけて巻き起こった「猫ブーム」の諸相を紹介する』というもの。
中でも、無類の猫好きで知られる「歌川国芳」の浮世絵は、
猫好きなら思わず「あるある」と言ってしまいそうな
色々な猫の仕草が描かれ思わず笑ってしまうほど。
また、美人と猫を一緒に描いたり、
猫を歌舞伎役者や当時人気の曲芸士に見立てたりと、
猫への愛情の深さはかなりのものでした。
子供にも楽しめるようにとクイズ形式の問題用紙が用意されていましたが、
それが意外と大人も楽しめました。
展示も色々と工夫されていて、
我が家の猫自慢というコーナーに自分の飼い猫の写真を貼ると、
記念の缶バッチがもらえたので、もちろん我が家のアシュくんの写真を持参しました。
猫好きにはたまらない展覧会です。
【猫とお昼寝】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「寿歌(ほぎうた)」
北村想氏が約40年前に書いた戯曲を
SPACの宮城 聡 芸術総監督が演出した「寿歌」を観劇しました。
舞台はSPACの野外劇場。
一面に広がるカラフルなごみの山、
上空には花火のようにミサイル爆弾の残りが飛び交っている。
核戦争後の荒廃した地方都市で、
無限大の輪のように続く黒い道の上を、
旅芸人のゲサクとキョウコがリヤカーを引いて歩いています。
とても悲惨な戦争後とは思えない関西弁でののんびりとしたやりとり。
生きていくことの逞しさを実感させます。
道の途中でヤスオと名のる男と出会い、三人で旅を続けます。
風貌といい、名前といい、神(キリスト)を象徴としているような雰囲気ですが、
けして万能の神ではなく、唯一の力は「物品取り寄せの術」というもの。
三人はそれすらも芸として人に見せて日々の糧を得ようとします。
三人の旅はやがてまた二人となり、ゲサクとキョウコの旅は続いていく。
それだけの演劇ですが、何ともいえない余韻がありました。
どこまでも明るく純粋なキョウコと三人の屈託のなさに、
かえってその裏の悲惨さも想像してしまいますが、
世界を破壊してしまう人間の愚かさと、
どんな境遇でも生きることを選択した人間の強さも同時に感じました。
【ほし太の日向ぼっこ】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「民衆の敵」
ドイツ演劇界に大きな変革をもたらしたと言われる
トーマス・オスターマイアー氏演出の演劇「民衆の敵」を観劇しました。
原作は136年も前にイプセンによって書かれたものだそうですが、
とても普遍的なテーマなので、全く古さは感じませんでした。
医師の家に集まる友人たち。
趣味のバンド練習をしながら食事をし会話を楽しむ。
どこにでもいる若者たちの日常から始まります。
とてもお洒落な雰囲気の中、達者な演奏と歌、場面転換も凝っていました。
とある温泉町で起こった公害。
いち早く気づいた医師がこの問題を告発しようとする。
また一方、町の経済は温泉に深く依存しているため、
政治家はそのことを隠そうとする。
この医師と政治家は実の兄弟でもあります。
医師の友人の新聞記者は、
始めは協力して記事にすることを約束するけれど、
次第に政治家に取り入り医師を弾劾する側に回る。
クライマックスとなるのは町民集会での医師の演説。
正義という名の下に極端な思想を掲げる彼の演説の後、
演出家は観客の私たちにも是非を問います。
民衆の敵とは誰なのか、正義とは何なのか、
この演劇を観ながらそのことを考えずにはいられませんでした。
エンディングで医師夫婦が見せた人間臭い表情が
さらにこの先の二人を想像させます。
日本初演のこの素晴らしい演劇を、
ここ静岡にいながら観劇できる幸せをとても感じた150分間でした。
【ほし太の日向ぼっこ】