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ほしいもブログ
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2015 『メフィストと呼ばれた男』
SPACの新作 宮城 聡 総監督演出の『メフィストと呼ばれた男』を観ました。
クラウス・マン原作の「メフィスト」は1936年に書かれ、
ナチス政権の庇護のもと、国立劇場の監督を引き受けた実在の名俳優、
グリュントゲンス(今回の役名はクルト)をモデルに描かれています。
当時まだナチスは健在で、亡命先で書かれたこの小説は出版禁止になるほどの問題作でした。
その「メフィスト」を、劇作家トム・ラノワにより、劇中劇として有名な戯曲の名場面を織り込み
作られたものが今回の演劇の元になっています。
開演前、まずは劇場に入って驚きました。
いつもの芸術劇場の左半分はすべて舞台に使用され、
観客は、舞台上も含めて右側半分に座ります。
チケット予約ナンバーが1番だったため、
俳優たちと同じ舞台上の最前列という、最高の場所での観劇でした。
すぐ目の前に、国立劇場の舞台と客席(クルトが演出を行う座席)、
女優 レベッカの亡命先とが時空を超えて現れます。
ナチスが政権をとったその日、
ドイツ国立劇場で稽古中だったクルトは社会主義的思想の持ち主でした。
しかしナチス上層部から、国民のために演劇を続けて欲しいと要請され、
最初、劇場から自分たちの主張を発信し仲間を助けることができると確信し、
国立劇場の監督を引き受けるが、
知らず知らずと庇護者であるナチス政権へ迎合するような演劇を行うようになり、
仲間も離れて行ってしまう。
阿部一徳さん演じるクルトは圧巻で、
特にクライマックスシーン、
舞台上で演じ続ける役と、クルト自信が重なり鬼気迫るものがありました。
使われた戯曲は、シェークスピアの「「ハムレット」、「ジュリアス・シーザー」、
「ロミオとジュリエット」、「リチャード三世」、「マクベス」、
チェーホフの「桜の園」と「かもめ」、
ゲーテの「ファウスト」など、古典に疎い私でも知っているような名作中のセリフに、
それぞれの立場や信条というものがかなりシンクロしていて、
戯曲を演じているのか、彼らの苦悩をそのまま演じているのかわからなくなるほどでした。
本当に人は環境に流されてしまう弱い生き物です。
それでも、クルトは、与えられた環境の中、
自分にできることを精一杯やっていたのだと感じました。
それが果たして自分が本当にやりたかったことなのかどうか、
それはクルト自身だけが死ぬ時にわかることなんじゃないのかな。
私たちはその後の歴史を知っています。
今ここで、宮城さんがこの演劇を演出し、私たちに示してくれたことの意味を、
自分自身でもよく考えなければいけないと思いました。
旦那様はこの演劇を観るために原作を読み、
研究論文なるものも探し出して読むなど、並々ならぬ興味を持って臨んでいました。
優れた演劇は、観る者の興味を刺激して思いもよらぬ方向へ導いてくれるものだと、
またあらためて実感しました。
素晴らしかったです。