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ほしいもブログ
父のこと、義母のこと
20年前母が亡くなった時、
母にしてやれなかったことが沢山あることに気づきました。
その代わり、義母にはできるだけ優しくしてあげようと思ってきました。
それなのに、先月父が亡くなり、
父親には何もしてあげていなかったことに愕然としました。
いつも元気で家を守ってくれていた父。
それがいつしか当たり前のことのように思っていました。
昨年の8月、父の膵臓で腫瘍が見つかったとき、
主治医の先生からは、
「88歳と言う年齢を考えると、抗癌治療はかえって寿命を縮めるかもしれないこと、
それでも頑張って治療したいというならやりますが、本人と家族でよく話し合って」
と言われたのに、父本人には話せず、
治療で苦しい思いはさせたくないから、積極的な治療は行わない。
と勝手に決めてしまいました。
最近見つけた、父の車の中に落ちていた1枚のレシートは、
9月1日に、趣味の畑に植えるキャベツの苗と肥料を買ったもの。
キャベツは年末に無事収穫して食べました。
畑には、その後父が植えた玉ねぎとえんどう豆がまだ残っています。
半年前の父はまだまだ元気で、
「生きたい」と確実に思っていたはずです。
今となっては聞くことはできませんが、
抗癌治療をしていたら、今でも生きてくれていたのかな。
11月に父が倒れたとき、
「残された時間は春くらいまで」と再び主治医から宣告されました。
でも、父は桜が咲くのも待たずに急いで旅立ってしまいました。
春がいつまでも来なければいいのにと私があんなに願ったから、
今年の桜はこんなに遅かったのでしょうか。
今、子供のようになってしまった義母をみながら、
父にしてやれなかったことを、
今度こそやってあげなければと思います。
日時: 2017年04月09日 16:25