ほし太の日向ぼっこ
店頭菜園

スタッフの一人が、店頭で野菜を育ててくれています。
日当たりがよく、肥料もお水もたっぷりもらえるので、
サニーレタスもすぐに大きくなり、
お昼のお弁当の時の緑に一役買ってくれています。
右側のプランターのレタスは、今日のお昼にも収穫した後です。

今年からは、ミニトマトとキュウリも育て始めました。
トマトはまだこんなに可愛い丈なのに早くも実をつけています。
楽しみです。

こちらは、レタスと葱。
もともとは、茨城の有機農園で育った葱をもらいその根っこを植えたもの。
すでに何十回も収穫させてもらっています。
薬味はちょっとでもあると本当に重宝です。
【ほし太の日向ぼっこ】
肉団子

タケノコの季節なので、タケノコ入りのシュウマイを作りました。
夕食に作ったらとっても美味しかったので、
明日のお弁当もシュウマイにしようと思い、タネを沢山作っておきました。
次の日、タネをシュウマイの皮で包もうとしたら、
皮がぴったりくっついていてはがれません。
無理やりはがそうとすると破けてしまいます。
何とか6個くらいはつくれたのですが、11人分は到底無理そうでした。
困った末にそのまま肉団子にしてしまうことにしました。
包んだ皮をはがして丸め、片栗粉をまぶして油で揚げました。
生姜入りの甘酢あんを作って、揚げた肉団子に絡めました。
つなぎを入れてなかったのでバラバラになってしまわないか心配でしたが、
何とか無事に完成!
ふわふわの肉団子になりました。
これがけっこう評判がよくて、かえってシュウマイより受けがよかったかも。
他のメニューは、エリンギとシメジのチリ炒め、
里芋とイカの煮物、大根と胡瓜、カニカマのサラダでした。
はがした皮も、油でパリパリに揚げて塩を振ったら、
スナック菓子みたいで美味しかったです。
【ほし太の日向ぼっこ】
お茶の天ぷら

今月の達磨庵の歳時記「風薫る」の写真を撮影する時、
干し芋と一緒に盛り付けるため、
お茶の新芽とプチトマトの天ぷらを作りました。
その撮影後に食べたお茶の天ぷらがとっても美味しかったので、
日曜日のお茶摘みが終わった後、
天ぷら用にもお茶の新芽を摘んで来ました。
大葉の天ぷらと同じように、
衣を薄くつけ高温でさっと揚げます。
塩をパラリと振って食べると
ほのかにお茶の香りがしてとっても美味しいです。
今しか食べられない旬の味覚です。
【ほし太の日向ぼっこ】
お茶摘み

5月6日、五月晴れの下毎年恒例のお茶摘みをしました。
兄弟姉妹が集まって、義兄のお茶畑で早朝からお昼までの短期決戦で行います。
今年は天気がよく暖かい日が続いたので、
お茶の新芽が少し伸びすぎてしまいました。
できれば2日くらいにお茶摘みができたらベストだったようです。
出来上がったお茶は全て自家消費用なので、
「自分たちで飲むお茶を自分たちで摘む」
という贅沢なもの。
こんなことができるのも静岡ならではです。

お昼には摘んだお茶をお茶工場に持ち込まなければならないので、
午後からは宴会となります。
これも楽しみの一つです。
手打ち蕎麦や、静岡おでん、お刺身、骨付き鶏肉、タケノコご飯など、
持ち寄りのご馳走が並びます。
宴会で飲むお酒はもちろん菊姫です。
【ほし太の日向ぼっこ】
エンドウ豆

ここ何年かお茶摘みでご一緒する義兄のお友達の稲葉さんから、
自分の畑でとれたエンドウ豆が届きます。
お茶摘みの時にいつも旦那様が菊姫を持参するので、
「美味しいお酒をご馳走になるお礼」と言っていただきます。
昨年の今頃は、
父が生前に植えたエンドウ豆を収穫していました。
父はエンドウ豆のご飯が大好きだったので、
毎年今頃は自分で畑に植えたエンドウ豆をせっせと収穫しては、
「豆ご飯にしてくれ」と言われました。
今年もつい先日、豆ご飯を炊いて仏壇にお供えしました。
濃い味好きな父だったので、
たいてい私が炊いたエンドウ豆のご飯は「塩味が足りない」
と言われました。
だから、父が自分で炊いたご飯はかなりしょっぱっかったです。
でも、とれたてのエンドウ豆のご飯のなんと美味しかったことでしょう。
何回も豆ご飯が食べられるよう沢山作ってくれたので、
お豆は冷凍して保管していました。
そんなことを思い出しながら稲葉さんののエンドウ豆を鞘から出して、
冷凍しました。
この次豆ご飯を炊く時は、もうちょっとだけお塩を効かせるね。
【ほし太の日向ぼっこ】
鶏飯(けいはん)

昨年家族旅行で奄美大島に行ったとき、
郷土料理の「鶏飯(けいはん)」を食べました。
でも私自身はその時車酔いだったのであまり食べられなくて、
味の記憶がほとんどありません。
ただ何だか家でも作れそうと思ったのだけはよく覚えています。
奄美大島で青パパイヤの漬物を買い、
冬に無農薬のみかんを戴いたので皮を干してとっておき、
それをついこの間、コーヒーミルで粉にしました。
それ以外のトッピングは、
鶏肉の裂いたもの、錦たまご、椎茸の佃煮、紅ショウガ、青葱のみじん切り、海苔です。
椎茸はちらし寿司の具のように甘辛く煮て、玉子を焼いてから細く切り、
青パパイヤの漬物も細かく切りました。

生活クラブで買った鶏モモ肉800gを、
軽く焦げ目をつけてから圧力鍋で20分圧をかけて柔らかくし、
一緒にスープもとりました。
味付けは野菜ブイヨンと塩こしょうだけ。
炊きたてご飯をよそい、
トッピングをのせて上からスープをかけていただきます。
みかんの粉と青海苔を載せるとさらに風味がよくなります。
奄美旅行から約8ヵ月、これでようやく気がすみました。
旅行も一緒に行った娘の旦那様が沢山食べてくれて嬉しかったです。
【ほし太の日向ぼっこ】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「寿歌(ほぎうた)」

北村想氏が約40年前に書いた戯曲を
SPACの宮城 聡 芸術総監督が演出した「寿歌」を観劇しました。
舞台はSPACの野外劇場。
一面に広がるカラフルなごみの山、
上空には花火のようにミサイル爆弾の残りが飛び交っている。
核戦争後の荒廃した地方都市で、
無限大の輪のように続く黒い道の上を、
旅芸人のゲサクとキョウコがリヤカーを引いて歩いています。
とても悲惨な戦争後とは思えない関西弁でののんびりとしたやりとり。
生きていくことの逞しさを実感させます。
道の途中でヤスオと名のる男と出会い、三人で旅を続けます。
風貌といい、名前といい、神(キリスト)を象徴としているような雰囲気ですが、
けして万能の神ではなく、唯一の力は「物品取り寄せの術」というもの。
三人はそれすらも芸として人に見せて日々の糧を得ようとします。
三人の旅はやがてまた二人となり、ゲサクとキョウコの旅は続いていく。
それだけの演劇ですが、何ともいえない余韻がありました。
どこまでも明るく純粋なキョウコと三人の屈託のなさに、
かえってその裏の悲惨さも想像してしまいますが、
世界を破壊してしまう人間の愚かさと、
どんな境遇でも生きることを選択した人間の強さも同時に感じました。
【ほし太の日向ぼっこ】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「民衆の敵」

ドイツ演劇界に大きな変革をもたらしたと言われる
トーマス・オスターマイアー氏演出の演劇「民衆の敵」を観劇しました。
原作は136年も前にイプセンによって書かれたものだそうですが、
とても普遍的なテーマなので、全く古さは感じませんでした。
医師の家に集まる友人たち。
趣味のバンド練習をしながら食事をし会話を楽しむ。
どこにでもいる若者たちの日常から始まります。
とてもお洒落な雰囲気の中、達者な演奏と歌、場面転換も凝っていました。
とある温泉町で起こった公害。
いち早く気づいた医師がこの問題を告発しようとする。
また一方、町の経済は温泉に深く依存しているため、
政治家はそのことを隠そうとする。
この医師と政治家は実の兄弟でもあります。
医師の友人の新聞記者は、
始めは協力して記事にすることを約束するけれど、
次第に政治家に取り入り医師を弾劾する側に回る。
クライマックスとなるのは町民集会での医師の演説。
正義という名の下に極端な思想を掲げる彼の演説の後、
演出家は観客の私たちにも是非を問います。
民衆の敵とは誰なのか、正義とは何なのか、
この演劇を観ながらそのことを考えずにはいられませんでした。
エンディングで医師夫婦が見せた人間臭い表情が
さらにこの先の二人を想像させます。
日本初演のこの素晴らしい演劇を、
ここ静岡にいながら観劇できる幸せをとても感じた150分間でした。
【ほし太の日向ぼっこ】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「リチャード3世」

フランスの演出家ジャン・ランベール=ヴィルド氏が演出、主演される二人芝居、
「リチャード3世 ~道化たちの醒めない悪夢~」を観劇しました。
舞台芸術公演内にあるBOXシアターは、稽古場棟にある小さな舞台。
主に一人もしくは二人芝居や人形を使った演劇などが上演されます。
場内に入ると、舞台には見世物小屋のようなセットがありました。
とてもカラフルで可愛らしいデザインで、
自ずとこれから始まる演劇への期待値が上がりました。
目に入るのは中心にある大きな鏡。
登場したパジャマを着た道化師が語り始め、
リチャード三世の心のうちを吐露します。
見世物小屋が場面ごとに形を変え、
もう一人の道化師役の女性が様々な人物を演じ分け、
リチャード三世の人物像が次第に明らかになっていきます。
ずいぶん前に「三代目リチャード」というお芝居を観たことがあり、
リチャード三世という人は、
ずいぶんと極悪非道な人だったんだという漠然としたイメージがありました。
今回のお芝居でも、
政敵を次々と殺し甘言で女性をだますという確かにひどい男でしたが、
道化師が演じるリチャード三世は、また悲劇の人でもあったと感じました。
最新のテクノロジーが駆使され、
俳優二人の確かな演技力の上に成り立つ、
おとぎの国のような残酷な物語。
何とも不思議な演劇体験でした。
戦場で亡くなった最後の英国王ということで、
戦場シーンで使用される鎧は、
フランスの伝統的焼き物のリモージュで作られていて、
小道具一つとっても観るべき価値のある素敵な演劇でした。
【ほし太の日向ぼっこ】
ふじのくに⇔せかい演劇祭 2018 「夢と錯乱」

93歳となるクロード・レジ「最後の作品になる」という本作から
私の2018年ふじのくに⇔せかい演劇祭が始まりました。
4年前この演劇祭で初めてレジさんの「室内」を観劇したときの驚きは今でも忘れられません。
レジからの”別れの挨拶”とされたこの「夢と錯乱」は、
27歳で夭折したオーストラリアの詩人 ゲオルク・トラークルの亡くなる年に書かれたものだという。
私はゲオルク・トラークルという詩人のことは全く知りませんでしたが、
観劇前に戴いた演出ノートを読み、
第一次大戦での悲惨な体験、妹との近親相姦、薬物中毒による自死という文字と、
その自伝的ともいえる作品という内容に、
私の理解の範疇を超える胸の中のザワザワとともに入場の列に並んでいました。
舞台芸術公園にある楕円堂は、
自然の木々に囲まれた日本平の山中にある木造の劇場です。
待合から劇場までは階段をさらに下り地下深くに飲み込まれていく感覚になります。
中に入ると、薄明かりの照明が徐々に消えやがて漆黒の闇となる。
それがいつ始まったのかわからないうち、
舞台奥の方に最初は幽かに何かが動く気配がし、
やがて少しづつ形を変え徐々にこちらに近づいてくる。
暗いドームの中からやってきたその人の体はなんて大きいんだろう。
そう思った時、突然それが始まりました。
いくつかの象徴的な言葉があり、苦悩にもだえ、何かを求めるような動き。
語られる言葉以上に、
作家の苦悩を、愛を、渇望を、絶望を一身に背負っているようなヤン・ブードーさんの演技は、
観劇後の私自身の精神にもかなりの重さをもって印象付けられました。
遠い時代、場所に生まれて死んでいったこの詩人の言葉を表すのに、
楕円堂以上にふさわしい場所はないのではないかと思うくらいの深い演劇体験となりました。
【ほし太の日向ぼっこ】